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2015年12月10日 (木)

「清五郎」の地名の由来

こんばんは。明日からまた雨模様rainの天気になりそうです。皆さんはもう冬タイヤrvcarに交換されましたか?

さて、突然ですが、デンカビッグスワンスタジアムの住所は「新潟県新潟市中央区清五郎67番地12」です。

この「清五郎」という地名を聞いたとき、とても印象に残りました。どうしてこの地名になったのだろうsign02

そして「清五郎」って誰だろうsign02

その答えは、スタジアムの近くで見つけることができました。

デンカスワンフィールドの鳥屋野潟側には歩行者・自転車専用路があります。その潟に面した景色のよい公園を西に進むとなにやら農作業をしている人たちが・・・。

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よく見ると実はこの潟を開拓した農民を再現した人形でした。

この人形の紹介看板には「清五郎開拓八人衆」として説明されています。

読んでみると、2009年の「水と土の芸術祭2009」の作品で、制作は坂井輪中学校・新津第二中学校・内野中学校とあります。たいへんな力作で、クワを振り上げて土を耕す姿は今にも動き出しそうです。

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以下「水と土の芸術祭2009」作品の案内プレートを引用します。

「鳥屋野潟清五郎地区は370年前、石川県から移り住んできた八人の農民によって開拓されました。春まだ浅い、氷の張る田んぼでの農作業に始まり、塩水が混じり潮の満ち引きで水位が変化する悪条件の中で稲を育て、腰までつかりながら米を収穫し、船で運びました。想像を絶する先人の苦労があってこの地が生まれ、ビッグスワンが象徴する今の発展があります。八人衆が開拓に打ち込む姿を、一本松と石碑と湖面が象徴する記念の場所に、竹穂や流木、藁などを材料に使い、中学生が素朴ながらも力強く表現しました。」

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そして、作品中央の一本松の傍ら記念碑には、「・・・・・・・加賀の国大聖寺三谷細坪を後にした八人は、村の鎮守春日大明神を奉じて舟に乗り、この地に至り開墾を始めた。しばらくして仲間のひとり清五郎が病に倒れた。薬を富山まで求め親身に看病したが、ついに帰らぬ人となる。皆は夢半ばにしてこの世を去った友を偲び、彼が愛したこの地を「清五郎」と呼ぶことにした。開墾の苦労は想像を超えていた。鳥屋野潟の水も幾度となく押し寄せる。それでも先人たちは助け合い、人力で堤防を築き「清五郎」を守り抜いた・・・・・」(平成十九年五月 清五郎地区一本松保存会 財団法人 亀田郷地域センター)とありました。

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先人達のたいへんな努力で広大な蒲原平野があり、このスタジアムやスポーツ公園も存在するのですね。潟の開拓に挑戦した先人達には感謝と尊敬の念を抱かずにはいられません。

 

 

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